意味について

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「起こることにはすべて意味がある」と思う?

「これには意味があるのか」「あれには意味がないのか」——そんな言葉を日常のあちこちで耳にする。誰かが失敗した時、何かがうまくいかなかった時、あるいは逆に何かを頑張ろうとする時、必ずと言っていいほど「意味」という言葉が顔を出す。
しかし、僕はこの問いかけ方そのものに、ある種の違和感を覚えずにいられない。「意味があるか、ないか」を他人に問う人の多くは、本当のところ、答えそのものを求めているわけではないのではないか。行動や選択を正当化してほしい、あるいは安心したいとか。そういう自己満足のために、意味の有無を確認しているように見える。
そもそも、意味とは何だろうか。意味とはあらかじめ物事に埋め込まれている客観的な事実ではなく、それを受け取る人間の側にしか存在しないものだと考えている。同じ出来事でも、ある人にとっては人生を変えるほどの意味を持ち、別の人にとっては取るに足らない出来事に過ぎない。同じ石ころでも、ある人にとっては旅の記念であり、別の人にとってはただの石だ。意味は物そのものに宿るのではなく、それを見る人の視点、経験、価値観が作り出すものなのだ。
だからこそ、僕は「全ての物事には意味がある」という考えを否定できないと思っている。なぜなら、誰か一人でもそこに意味を見出す限り、その物事には意味が「存在する」からだ。逆に「これには意味がない」と誰かが言い切ることもまた、その人の主観的な判断でしかなく、絶対的な真実ではない。つまり、意味の有無というのは白黒つけられるものではなく、常にその人がどう感じ、どう関わるかという、極めて個人的な領域の話なのだと思う。
だとすれば、「これに意味はあるのか」と他人に答えを求める行為自体、本質的には成り立たない問いなのかもしれない。意味は与えられるものではなく、自分自身の中で見出すか、あるいは見出さないかを選ぶものだからだ。他人に意味の有無を尋ねる人は、実のところ意味そのものを探しているのではなく、自分の選択への同意や安心感を探しているのだろう。それは決して悪いことではないが、少なくとも「意味」という言葉の本来の使い方とは、少しずれているように思う。
結局のところ、意味とは客観的に存在する答えではなく、一人ひとりが自分の経験の中で紡ぎ出していくものだ。だから私は、これからも「意味があるかないか」を誰かに問うよりも、自分自身がその物事とどう向き合い、そこに何を見出すかを大切にしていきたいと思う。

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