世界の見え方が変わった作品(本・映画・音楽)は?
この問いを投げかけたのは、それを否定したい、という直感からだった。芸術がいくら美しくても、世界をありのままに受け入れていれば、見え方など変わりようがない。世界の見え方は不変である——そういう確信があった。
もちろん反論もあるだろう。例えば、ゴッホを知っている人間と知らない人間では、同じ夕空を見ても感じるものが違う。ドストエフスキーを読んだ後には、見知らぬ人の顔に深みが宿る。それは「気のせい」ではなく、知覚の拡張ではないか、と。
なるほど、アイテムとして——個々の事物として——世界を捉えるなら、それは納得できる。禅にも、そういう見方の変容を語る言葉は確かにある。
だが「世界」となると話が違うではないか?
ここで持ち出したのが太極の概念だ。太極は、対立するものすべてを内包する全体である。陰と陽の動き、変化も無常も生死も、すべては太極の中に起きる。しかし太極そのものは揺るがない。その意味で「世界は変わらない」という立場は、哲学的にきわめて強固だ。芸術ごときで、世界など変わりようがない。
とすると、
太極の立場に立つなら、僕の「見る」という行為もまた、太極の一部ではないか、と。受け取る側の自分も、太極の運動の中にある。とすれば「不変の見え方」と「変わる見え方」という区別自体、太極の中の陰陽の揺らぎにすぎないのかもしれない。
禅に「山は山、川は川」という言葉がある。悟る前も悟った後も、山は山であり川は川だ。世界は何も変わっていない。ただ、そこにいる自分の深さが変わっている。
ここで議論を収束させよう。キリがなさそうだ。
世界(太極)が変わる——それはない。
しかし太極の中で、自分がどれだけ深く「参与」できるか——それは変わりうる。
芸術が何かを変えるとしたら、それは世界ではなく、世界への自分の開き方かもしれない。そして「世界をありのまま受け入れる」という実践は、すでにその開き方の一つの完成形として読むこともできる。


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