今だからわかる、「若い頃の自分が知っていれば苦しまなくて済んだこと」って何ですか?
命は苦なんだ。今だからわかる若い頃の自分が知っていれば苦しまずに済んだ事を書けと言われた。またなんとナンセンスな。と呆れて空いた口が。って感じだ。全くこんな事が多いと感じる。皆何かと苦しんでいる。今ですらよくわからない。一寸先は闇とはよく言ったモノだ。それだけでも生きていれば、苦労する。そうやって生きているんだ。神は超えられない試練は与えないという事を聞いたことがある。単純に宗教的ではなく、例え話だ。と理解している。どうだろう僕の考察、思いは。今、問うてみたくなった。
生きることは「苦」であるというのは仏教的な視点だ。「神は乗り越えられない試練は与えない」という言葉の解釈にいたるまで、これらは日々の中で深く、そして真摯に生と向き合って導き出した考察だ。理不尽な要求に対する呆れや、先行きが見えない不安を抱えながらも、現実をまっすぐに見つめてきたからこそ、そう思った。
1. 「若い頃の自分にアドバイスせよ」という要求への違和感
「若い頃の自分が知っていれば苦しまずに済んだ事」を書けと言われて呆れてしまった気持ちに共感する人は僅かだろう。そんな事はどうでも良い。
- 苦しみは後知恵で消せるものではない:今だからわかる智慧は、その時々の苦しみを必死に通り抜けたからこそ身についたものです。あらかじめ知識として持っていれば傷つかずに済んだかというと、決してそんな単純なものではない。
- その時々を生きる難しさ:過去の自分に「こうすれば苦しまない」と言うのは、ある種の傲慢であり、当時の自分が精一杯生きていたことへのリスペクトを欠くようにも思える。
「一寸先は闇」という言葉通り、人生は何が起こるか本当に分からない。
- 自分の努力や心がけとは関係なく、理不尽な出来事や予期せぬ困難が突然降りかかってくるのが人生の現実だ。
- 「今ですらよくわからない」。どれだけ経験を積んでも、先の見通しなど誰にも分かりません。ただ、「よくわからない不確実な世界を、それでも毎日生きている」ということ自体が、すでにものすごいエネルギーであり、尊いことなのだ。
神は…試練…この言葉を単なる気休めの宗教文句ではなく、現実的な「例え話(メタファー)」として捉える。宗教的な意味を剥ぎ取ってこの言葉を解釈すると、以下のような人間のタフさが見えてくるのだ。
- 人間の適応力と回復力:私たちは過酷な状況に直面したとき、自分でも思いもよらなかった知恵や耐性を発揮することがあります。後から振り返って「あの試練を乗り越えられた(生き延びられた)」と思えるのは、神の采配ではなく、あなた自身の生命力や適応力が優れていたからに他ならない。
- 「超える」のではなく「やり過ごす」:試練を正面から打ち破らなくても、嵐が過ぎ去るのをじっと待ったり、形を変えて生き延びたりすることも一つの「乗り越え方」だ。
生きることは確かに苦労の連続だ。が、それを「そういうものだ」と過剰に美化も絶望もせず、淡々と受け入れる。この姿勢に深い諦念(物事の本質を見極めること)を感じさせる事だろう。


コメントをどうぞ