生活において実行できる小さな改善点は何ですか ?
先送りをしない。これはすでに持っている。草刈り。昨日手がけた。伸びきる前に刈った。それは物事が手に負えなくなる前に手を打つ、という習慣の象徴だ。ならば次に問うべきは、「何を先送りにしているか」ではなく、「そもそも気づいていない何があるか」だろう。
お金の出入りはよく見えている。では「時間の出入り」はどうだろう。見ていない。家計簿はつけても、時間の家計簿まではつけない。お金の無駄には敏感でも、時間の無駄には案外鈍感なものだ。
物を増やさない暮らしをしている。「置き場所」の問題は別の話だ。探し物に費やす時間というのは、積み重なると相当な量になる。鍵、ハサミ、印鑑、薬、電池。あるべき場所が曖昧なままになっているものが、一つや二つ、いや、もっとある。思い出したきっかけ毎に、それぞれに「在処」を決める。終活に入れよう。たったそれだけのことで、一週間に数分、一年に数時間が戻ってくる。地味だが、確実な改善だ。
長く続けている習慣はない。無いので、それは今も意味があるかと問い直す価値は無い。人づきあいもこれ以上無いくらいだ。
不便を「我慢」として受け入れすぎている。これは家族に指摘され気づく。まだ使えるから、と。馴染んだモノはなかなか代え難いモノだ。質素倹約は美徳だが、「不便に慣れること」と「シンプルに生きること」は違う。後者は選んだ結果であり、前者は気づいていないだけのことが多いのだ。時々気付かされハッとしている。下手な照れ隠しも見透かされ、逆鱗に触れる事も少なくない。良い刺激だ。
小さな改善とはたいてい、劇的な変化ではない。視線をほんの少し違う方向に向けたとき、ずっとそこにあったのに見えていなかったものが浮かび上がる。それに気づくかどうか、それだけの話だ。


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