ゆとり

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日常生活で遊んでいますか ? あなたにとって「遊び」とは ?

「遊び」という言葉は、日本語においては古くから単なる娯楽以上の意味を持っていた。今でもその名残は日常会話の中にもある。昔、『万葉集』における「遊ぶ」は、神事や歌舞、自然との交歓を含む、精神的なゆとりの表現でもあった。農耕社会においては、農閑期に「遊び」が生まれた。これは単なる暇ではなく、共同体の再確認や芸能の発展、信仰の実践といった、文化的・精神的な豊かさを育む時間であった。つまり、「ゆとり」とは単なる時間的余裕というだけではなく、人が人らしくあるための必要不可欠なモノだったんだと思う。子供の頃、「ゆとり教育」というのがあった。僕より少し後の世代だ。確か詰め込み教育からの脱却、「生きる力」の育成を重視したようなモノだった。この方針の背景には、高度経済成長期を経て、知識偏重の教育が子どもたちの創造性や自主性を奪っているという反省からだ。つまり、「学ぶこと=詰め込むこと」ではなく、「考える力」「感じる力」「生きる力」を育てようという、教育の質的転換を目指した。が、「ゆとり=甘やかし」と受け取られたり、国際的な学力調査(PISAなど)での順位低下が問題視された。また教員の準備不足や、保護者・社会との認識のズレもあって、理想と現実のギャップが広がった。その結果2010年代以降、「脱ゆとり」へと舵が切られ、再び学力重視の流れとなった。

現代においては、効率や成果が重視される中で、この「ゆとりとしての遊び」が失われがちだ。でも、だからこそ、意識的に「遊び」を取り戻すことが、創造や詩情、そして感性の回復につながるのかもしれない。

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