生きる事。

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最も大きな課題は何ですか ?

死生観と言いたいところだが、ここは生きることとしたい。人は意図して生を受けたわけではない。生きる事を意識しているわけでもない。

デカルトは「我思う、ゆえに我あり」と言った。つまり、思考すること、意識することが存在の証明だとした。 この立場に立てば、「生きていることを意識する」という行為そのものが、人間の存在の根幹にある。 だとすれば、生きることを意識することは、単なる副産物ではなく、存在の本質そのものとも言える。

しかし、ハイデガーは「死に向かう存在」として人間を捉えた。 つまり、人は死を意識するからこそ、生を意識する。 この視点では、「生きることを意識する」とは、死の不可避性を前提にした、有限性の自覚だ。 だからこそ、日常の中でその意識はしばしば忘却され、危機や喪失の中で突如として浮上する。

さらに仏教的な観点から言えば、「生きている」という感覚すらも、無常の中の一時的な錯覚かもしれない。 「生死一如」、生と死は分かたれたものではなく、同じ流れの中にある。 この視点では、「生きることを意識する」こと自体が、執着や自我の働きとされることさえある。

意識は常に変化し、形をとどめず、でも確かにそこにある。 意識は生だとも言えない。じゃぁ無意識は?という事になるからだ。年始早々こんな事を考える。とても大きな課題だとあらためて思った。

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