日常の中でふとした瞬間に

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どんなときに懐かしさを感じますか ?

無意識に感じる。感じようとすると感じられない。例えば綺麗な夕焼け、古い校舎の写真、昔の歌声に触れたとき、胸の奥に疼くような感情が湧き上がる。この感情は単なる過去の記憶の再生ではない。それは「今ここ」にいる自分と「かつてのどこか」にいた自分とが繋がった瞬間だ。SF のような話だ。

幼少期に嗅いだ畳の匂いを何十年ぶりかに感じたとき、その場にいながら同時に過去の時間に「戻る」ような感覚を得る。これは、感覚的な刺激が記憶の扉を開き、過去の情景や感情を現在に召喚する。音楽、風景、味覚、季節の移ろい、人との再会など、懐かしさを喚起するトリガーは様々だ。ただ共通しているのは「失われたものが一瞬だけ回復する」というところだ。

また喪失の痛みと回復の幻想が交錯する感情であったりもする。そこには「もう戻れない」という切なさと、「今だけは戻れたような気がする」という一瞬の救済が同居する。この感情は、過去の自己と現在の自己との対話だ。懐かしさは単なる感傷ではなく、自己の記憶を再編成し、現在の自分を支えるためのモノだったりもする。

何も個人に限った話でもない。地域の祭りや伝統芸能が懐かしさを喚起する。それは共同体の記憶を担っていて「かつてあったつながり」や「忘れられた価値」に再び触れることができる。これは現代社会における断絶や孤立を癒す。更に過去の記憶を素材に新たな物語や表現を生み出す営みは、芸術や文学において繰り返し行われてきたのだ。

しかし、“懐かしさ”には危うさも潜んでいる。過去を美化しすぎることで、現実から目を背け、未来への想像力を失う危険がある。懐かしさを感じること自体は自然であるとしても、それにどのように向き合うかが問われる。

人が時間を生きる存在である以上、不可避かつ本質的な感情。そしてそれは自己の統合、文化の継承、倫理の回復、創造の契機として機能する。懐かしさは、過去に閉じこもるための感情ではなく、過去を通じて現在を深め、未来を照らすためのモノなのだ。

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