過去に行った決断の中で、学びや成長に役立ったことを教えてください。
決断など、1日に何万回もしている。朝、右足から起きるか左足から起きるか。その選択でさえ、厳密には「決断」だ。だとすれば、掘り下げたいのは、なんだ。それら全て役立っている。
始めることには、どこかロマンがある。新しい契約、新しい挑戦、新しい関係——踏み出す瞬間はたいてい前向きなエネルギーに満ちている。だが、やめることは違う。やめるとき人は、すでに投じた時間や信頼や感情の重みを全身で受け止めながら、それでも手を離さなければならない時がある。以前にある契約を破棄した事が何度かあった。プライベートでの話だ。損失は覚悟の上だった。続ければ、もっと大きな代償——場合によっては取り返しのつかない傷——を負う可能性が大きかったのだ。
人間には「損失回避バイアス」という厄介な性質がある。すでに払ったコストが惜しくて、泥沼にずぶずぶと沈み続けてしまう心理だ。「ここまでやったのだから」「今さら引けない」——その言葉が聞こえてきたとき、それはたいてい、やめるべきサインだ。
覚悟とは、前に進む力だけではない。損切りできる冷静さもまた、覚悟の一形態だ。大怪我をする前に、自ら犠牲を払って立ち止まる。その判断は、弱さではなく、長い目で見た強さである。
そして、もう一つ気づいたことがある。
「正しい決断」などというものは、決断した時点では存在しない。正しさは、その後の行動によって事後的に作られていくものだ。だから、あのとき契約を破棄したことが「正解だったか」と問われれば、私は今でも「わからない」と答える。ただ確かなのは、あの決断の後、私は何かを失い、何かを学び、少しだけ自分の輪郭がはっきりした、ということだ。
毎日、何万回もの決断をしながら私たちは生きている。そのほとんどは無意識のうちに流れていく。だが時折、意識の表面に浮かび上がってくる決断がある。そういうとき——進むことへの恐れより、やめることへの恐れが勝りそうになるとき——少しだけ立ち止まって問い直す。そうすると少し、自由になれると思う。


コメントを残す