試練を越えた先に

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10年後の自分はどうなっているでしょうか ?

たぶん生きているだろうとか、夢を叶えているかもしれない、そしてもし叶えていたなら、夢の向こう側にはいったい何が広がっているのだろうなど書いてきた。今、それらの言葉を否定する気もないし、否定するような理由も、幸いにして見当たらない。どちらかといえば、順調だ。人生というものは、そう口にできるだけで十分に恵まれているのかもしれない。

去年は、大病になる手前で処置を受けることができた。術前術後は、なかなか酷い目にあった。けれどもそれは、与えられた試練だと思うことにした。というより、そう腹を括るほかなかった。そして気づけば、乗り越えていた。少し長く生きるキッカケにはなっただろう。

夢に近づくために、今年から来年にかけていくつかの予定を組んだ。大きな一歩ではない。小さな、しかし確かな家族との歩みだ。遠い山を目指すとき、足元の一歩一歩しか実は見えていないものだと、最近になってようやく分かってきた気がする。

そして今、大陸で有害物質でコーティングされた黄砂まみれの花粉と対峙している。これは毎年恒例の試練ではあるのだが、今年のそれは少々手強い。昼間だけでは飽き足らず、夜の安眠まで侵略してくる。それでも朝はやってくる。

「天は越えられない試練を与えない」という言葉がある。信じたい言葉だ。ただ正直に言えば、老いていく身には試練の質が年々変わってくる。厳しさが増しているのか、それとも自分の耐性が変化しているだけなのか。これまでの行いのせいなのか、あるいは夢がデカすぎるせいなのか。

答えは出ない。出ないまま、今日も黄砂塗れの花粉と戦い、十年後へと続く道を歩いている。アノ黄砂にさえ塗れて無ければ。。。と思いながら。

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