そこは目的地では無かった。

Published by

on

高校で学んだことを説明してください。

目指す大学があったのだ。高校はそこへ向かうための通過点に過ぎなかった。だから高校そのものを、真剣に生きていなかったかもしれない。
ところが途中で、自信が揺らいだ。志望校のランクを下げた。目標を修正したとも言えるし、逃げたとも言える。どちらでもあった気がする。その判断は今も完全には整理できていない。
ただ、振り返ってみると、高校の三年間が教えようとしていたのは、教科書の中身だけではなかったのかもしれない。国語も数学も英語も、知識として身についたかどうか怪しいが、それらを前にして自分がどう反応するか、どこで諦め、どこで踏ん張るか、そういう自分自身の輪郭のようなものを、静かに浮かび上がらせていたのではないか。

昭和の時代。経済社会の発展による人材需要の増大と国民の生活水準の向上によって教育が普及し、特に後期中等教育・高等教育への進学希望者が増大した。それに伴い教育の多様化が求められるようになった。これが昭和教育の大きな流れだ。つまり昭和の高校は「大学受験の準備機関」として機能しつつ、その裏には「日本の産業・経済を支える均質な人材を大量に輩出する」という国家的な目的があった。

そうすると学んだ事は間違ってはいなかったと言えるだろう。学んでいる最中にはわからない。あの時間が何だったのか。しかしこうして社会人としてやってこれた。これが学んだ事の証しだ。

コメントを残す