ナンセンス。

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1日だけ他の誰かになれるとしたら、誰になりますか ? それはどうしてですか ?

他人になどなりたくもない。赤ちゃんはまだ“誰か”ではない。名前はあっても、肩書きも過去もない。まっさらな存在。つまり、誰にもなりたくない私にとって、唯一許せる“他人”だ。1年が経ったが、答えは同じだ。いや、むしろ確信に変わった。

他人になって何がわかる? たった1日で、何を感じ取れる? その人の人生の断片をなぞったところで、痛みも喜びも、ほんとうの意味では理解できない。表面をなぞるだけの体験に、どんな意味があるのだろう。それに、私は私でいることに忙しい。朝起きて、コーヒーを淹れて、ふとした瞬間に浮かぶ記憶や、胸の奥に沈んだ感情たち。それらすべてが、私という存在をかたちづくっている。他人になるということは、それらを一度手放すということだ。そんなの、もったいない。もちろん、誰かの人生に興味が無いといえば嘘になる。羨ましく思うことはあった。過去の話だ。あの人の才能、あの人の暮らしなど。あの時、入れ替われればなど思ったかもしれない。が今は違う。他人はどう思おうと、今が良い。他人が羨むような話もできる。それは自分次第という事だ。

だから、私は今年もこう答える。「誰にもなりたくない。私は、私でいたい。」それが、尊く、リアルなことだから。

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