何に退屈しますか ?
この問いは、退屈とはただの暇ではない。それは感情の不在であり、思考の停止だ。ちょっと前の日本には、退屈を美徳とする政権があった。波風を立てず、問題を先送りし、国民の怒りも希望も、すべてを「空気」で包み込んで窒息させる。その空気は、無関心という名の毒ガスだった。だが、ようやくその空気が揺れ始めている。誰かが咳き込み、誰かが叫び、誰かが窓を開けようとしている。日本が、ようやく目を覚まそうとしているのだ。
だが、目を覚まさない者たちがいる。オールドメディアだ。新聞もテレビも、かつては権力を監視する第四の権力だった。それが今や権力の飼い犬と化し、吠えることもなく、ただ尻尾を振る。SNSでどれだけ批判されても、彼らは涼しい顔だ。むしろ「視聴者の声に耳を傾けることはない」と言わんばかりに、さらに退屈な番組を量産し続ける。公共の電波を使って、国民の知性を侮辱する。それは、静かな暴力だ。情報を選別し、編集し、都合の悪い真実を切り捨てる。その結果、私たちは「知らない」という形で、現実から切り離されていく。これは無知の強制であり、沈黙の強要だ。
だが、希望はある。退屈に飽きた人々が、怒りを言葉に変え始めている。SNSの喧騒は、時に浅薄で、時に過激だ。だが、そこには確かに「生」がある。誰かの痛み、誰かの叫び、誰かの真実が、編集されることなく、むき出しのまま流れているのだ。


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