ペットとして最高な動物と最悪な動物はどれですか ?
「最高と最悪」という問いが隣に並んだとき、何かがずれる。なぜ「最高と最悪」という対比が問いとして成立するのか。
最高と最低では穏やかすぎるからなのか。それとも、ペットを飼うことを検討している人が、リスクを知りたいからか。確かに最悪という言葉には、失敗談・苦労話・後悔を引き出す力がある。「大変だった」「こんなはずじゃなかった」という声は、「最低」という言葉では出てきにくく、「最悪」という言葉だからこそ引き出せる本音がある。
また、「最悪のペットを答えてください」という問いに対して、人はどう反応するか。ある人は笑って答える。ある人は「そんな聞き方はおかしい」と反発する。僕は「ナンセンスだ」とした。この事から、この問いは、ペットに対する価値観や倫理観を炙り出すテストとしても機能している。命をどう扱うか、利便性で生き物を評価することに抵抗があるかどうか。答えの内容より、答え方そのものが語る構造になっているのだ。
「最高と最悪」という非対称な対比は、論理的には不完全だ。しかしその歪みこそが、感情・本音・価値観を引き出すための仕掛けになっている。「ナンセンスだ」とした直感は正しいようだ。だがその「ナンセンスさ」を問いに組み込んだ側にも、意図がある。整合性より反応を、情報より物語を求めているとき、人は意図的に問いを歪めるのだ。


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