最も影響を受けた教師は誰ですか ? なぜですか ?
過去のを今読み返すと、何だこれらはと思った。仮にも教師を志した自分にとっての教師とは何なのだろう。
教師とは、人間、とくに子ども・青年を指導し、その発達を助け、促す存在とされている。制度的には授業を行う職員だ。しかし、その役割はもっと多層的なのだ。教師には大きく三つの指導方法があるとされている。「ティーチング」(知らないことを教える指示的な役割)、「コーチング」(すでに持っているものを引き出す支援的な役割)、「カウンセリング」(気持ちに寄り添う役割)。理想の教師はこの三つを状況に応じて使い分ける存在だと。より広い視点から言えば、教師の仕事とは、子どもたちに生きていく上で必要な社会や世界のことを教えていくこと——大人の社会で必要な事柄を、噛み砕いて伝えていくこと。そのために教師は、社会と子どもたちの間の仲介者にならなければならない。教師が主人公ではない。学習者が主人公である。教師の役割は知識を一方的に伝える存在ではない。学習者の学びを支援・促進する存在でなければならない。勉強は、自分でするものだ。
教師というだけで、学友の関係には関与して欲しくない。家庭にも踏み込まれたくない。進路は自分で決める。ただ、クラスの責任者であることには違いないだろう。そう考えると、影響など受けるはずがない——そう思っていた。それでも、自ら教師を目指した。人間を相手にする仕事、それも感受性豊かな連中と向き合う毎日は、きっと新鮮だろうと思っていた。それだけに、責任の重さも分かっているつもりだった。得意な学科を教えるのが一番だと、根拠もなくそう信じていた。本当にそうだろうか。今となっては、検証する機会はない。しかし振り返れば、自分にできることは別のところにあったかもしれない。たとえば、いろいろな勉強の仕方を伝えること。それは社会に出てからの経験が、むしろ武器になる。分からないことや質問には、真摯に向き合う。ただし、勉強を無理強いすることはしない。
では、教師とは何なのか。強いることでも、導くことでもない。ただそこにいて、問われたら答え、求められたら支え、あとは見守る——そういう存在ではないか。クラスの責任者でありながら、しかし主役は生徒たちだ。毎日新鮮な顔と向き合い、自分の言葉が誰かの中でどう響くかも分からないまま、それでも誠実であり続けること。影響を与えようとした瞬間に、それは押しつけになる。影響とはおそらく、与えるものではなく、気づかぬうちに残ってしまうものだ。私にとって教師とは、そういうものだったのかもしれない。と今更ながらに思った。


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