“もっと”が無い日々

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毎日もっとできたらいいのにと思うことは何ですか ?

何も浮かばない。過去には答えた。読書、とか。睡眠、とか。その時々に切実に感じていることがあったから、すんなり言葉が出てきた。でも今は違う。何かが満ちているわけでもないのに、「もっと」という感覚が見当たらない。

昨日のアプリのキャプションには、「タトゥーをどこに入れたいか」なんて質問が来ていた。入れたいとも思っていないことを、毎年毎年聞かれる。さすがに不愉快になって、書く気が失せた。そのせいで連続記録がまた途切れた。その影響が翌日の気分にまで尾を引いているのだから、小さなことのようで、案外バカにできない。

絵のことを考える。別に枚数を増やしたいとは思わない。描いている時間そのものが楽しいのだから、「もっと」は的外れだ。量ではなく、質というより、ただそこにいることが大事なのだと思う。読書はしたい。でも、本があれば、という話だ。睡眠は、不眠の原因がなくなった今となっては特に問題ない。花粉や黄砂が良い眠りを邪魔することはあるが、それは「もっと眠りたい」とは少し違う。阻まれているだけで、欲しているわけではない。ブログはこの程度でいい。俳句は月に一度で十分だ。家事も、今の分担で何ら不満はない。

並べてみると、どれも「足りない」とは感じていない。平々凡々な日々には、もしかすると「もっと」は必要ないのかもしれない。何かに追われるでもなく、何かに飢えるでもなく、ただ今日という日が静かに過ぎていく。それで構わないと思えることが、存外、豊かさの一形態なのではないか。思いつかなかったのは、空虚だからではなく、今がそれなりに整っているからだった。そう気づいたら、少しだけ気が楽になった。

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