自信過剰という意味なのか。

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あなたが知っている中で最も自信にあふれた人は誰ですか ?

今年は今一度、「自信」というものを、少し立ち止まって考えてみたい。
自信に溢れる、とはどういうことか。あまり他人のことを気にしない。他人がどう生きようと、正直なところ知ったこっちゃない。ただ、自分に火の粉が及びそうな気配があれば、それは事前に察知して避ける。ただそれだけだ。他者への無関心と、自己防衛の鋭敏さは、矛盾なく共存する。

自信というものは、実力が伴ってはじめて輝く。努力の人・田中角栄はその好例だ。貧しい雪国の出身でありながら、独学で建築士の資格を取り、政界の頂点まで駆け上がった。彼の自信は、積み上げた経験と、血のにじむような努力の上に立っていた。だからこそ人を惹きつけ、尊敬に値した。根拠のない自信とは、まるで地盤のない建物のようなものだ。

自信は持つ。しかし「溢れるほど」は持たない。溢れた分は、どこかへこぼれ落ちて消えるだけだ。もったいないし、無駄だ。そのエネルギーがあるなら、別のことに使う方がずっといい。

ところで、「最も自信に溢れた人は誰か」という問いかけは、一体何を知りたいのだろう。公のニーズがそれほどあるとも思えないし、答えを読んで何かためになるとも限らない。それでも書くなら、読んだ人の何かになる言葉を残したい。ならばこう言おう——自信とは、纏うものではなく、積むものだ。派手に溢れさせるより、静かに深く蓄えるほうが、長く、強く、自分を支えると。

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