人生の重要なできごとや時間の経過が、人生観にどのように影響していますか ?
前回これまでの人生を触りだけ振り返ってみた。それだけでも、いくつもの出来事や時間の積み重ねが、少しずつ自分の人生観を形づくってきた事が分かった。そしてそれが、プラスに働きそして死生観へとつながったというところで筆を置いた。今回は、その続きとして、自分が抱く死生観について掘り下げてみたい。
そもそも死生観とは、生と死をどう捉えるかという、自分の根っこにある価値観だ。日頃から「いつ死んでも悔いのないように」と意識し、自分の最期について考えることが習慣になっている。最近はその傾向がさらに強まり、死を特別なものとして恐れる感覚は薄れてきた。正直なところ、死を恐れなくなるというより、死を意識することで逆に「今どう生きるか」が鮮明になるのだ。未来の不確実さに怯えるより、今日の選択や行動に重心が移る。 その結果、死への恐怖が相対的に小さくなる。自分の最期を想像しても仕方ない。最期の瞬間を思い浮かべても、どうしようもない。「そういうものだ」。これは諦めではなく、むしろ成熟した理解、自分の尊厳や生き方への意識はむしろ強くなっている。
死そのものに対する恐怖はない。ただし、理不尽に命を奪われるような「殺される死」だけは受け入れがたい。病気や事故による死は不運として理解できるが、他者の意図による死は、自分の人生の幕引きとして納得できないという感覚がある。
こうした思いを抱えながら、日々をどう生きるかを考えることが、今の自分の死生観を形づくっている。


コメントを残す