やってみたい事をやってみたいように。

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これまで何を後回しにしてきましたか ? なぜですか ?

その場凌ぎで自分を納得させてきた。納得した分後悔などない。その時々の自分と向き合い最善の策をとったつもりだった。思い返せば思春期の頃までは、自分らしかった。周りは大変だったかもしれない。

小学校の頃、空手を習いたかった。が、ダメと言われた。ケンカするからとの理由だった。本人はそれほどした覚えは無かったが、同級生の文集に「ケンカをしても相手に怪我をさせない」といった内容で書かれた事があった。確かに自分は怪我をした事は覚えている。あ、先生にも呼び出されたり、何処かの親御さんが怒鳴り込んできた事もあった。母親は謝りっぱなしだったな。子供のケンカにってヤツだ。口も悪かったようで、「貧乏タレ」と言われたと。どっちの家が貧乏かなど家まで来れば一目瞭然だろうと今ならそう思う。相手にしなきゃ良いだけだ。どうも親はPTAで、僕はクラス委員長や児童会の役などして目立っていたのが災いしたようだ。貧しさとは無関係だ。中学校では大人しく優等生。空手はダメだったが柔道部はOKだった。相変わらず何とか委員長の役回りは良くやっていた。

高校進学辺りからだ。志望校から教師になる道を描いていた。まず志望校を変えた。クラブ活動も本当は体操をしたかったが、その部活がなくて帰宅部に。アルバイトは休暇時に小遣い稼ぎを。紡績会社内の輸出梱包会社で。力仕事だ。大学も教員養成系から理系の大学に。教員免許は取得した。採用試験は二度受けた。二度目は一次パスし二次のグループ面接も手ごたえはあったが縁が無かった。僕は一芸に秀でて無かったのだ。

大学で言いたいことは言えと言ってくれた恩師がいた。最初の会社は自分らしかったが、「何事も勉強と」結構我慢もした。労組では役員をしたり大会では議長をしたりで、結構イキっていた。そんな勢いで、飛び出してしまった。飛び出し癖がついてしまった。世渡り下手だな。と言って残ってもどうなった事やら。今思うと、公私共に最初が一番だったな。今も繋がっているのは最初の会社の同僚たちだ。

さて今はというと、起業もした。ピアノも独学で、絵も描いて、blogも書いている。俳句も月一で投稿する。初級入選はするが中級にはまだまだだ。今のところ、なんとなくやれている。たぶん無意識に後回しにしてきた事なのだろう。

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