「ドラゴン桜」ドラマを見ている。この一言が気に留まった。
パッと思いつくのが同義語、同じ意味のことを別の言い方で表現すること。同義語だけだとそれほど気にもならなかっただろう。それが気になったのは今言い換えの必要性を実感したからだ。
昭和に生まれ昭和に育った身としては表現一つとっても考えながら話したり書いたりしなければならない。もちろん自分だけなら何の問題もない。相手が居る場合だ。当時の映画やドラマ(再現も含む)がメディアで放映される場合は初めに但し書き、断りのテロップが目につく。目につくのは何の違和感も無く見ていられるからだ。それを現在に合わせようとすると言い換えが必須だ。言葉だけで無く文章そのもの、作者の意図するものにも影響を及ぼしかねないと思う。実際に作家と脚本家とメディアでトラブルもなくは無い。
英語にしても日本語を言い換えている。数学は文章を数式に。国語は苦手だった。作者の意図を問う問題が特にそうだ。ここにも言い換えが当てはまる。要約というやつだ。ドラマでは同等関係に焦点をあて、さらに読解力に発展させた。まさにそこだ。教師も分かるようにできる限り言い換えまくる必要はあると思う。営業でもそうだった。相手に分かってもらってなんぼだ。SNSにしても読解力や言いたい事の要約などが求められる。表現ももちろん要注意だ。
最後に政治家の発言。撤回することは稀である。言い換えが出来てないのか意図して炎上させているのか。分からない生き物が居ることは間違えなさそうだ。


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