高校の修学旅行が志賀高原にスキーだった。それが記憶では初めてだ。その後就職して90年代は良く行った。
今音楽番組を見ていたら、ちょうどその年代の曲が流れてきた。やっぱりスキーだ。ブームだった。当時は関東に住んでいてガーラ湯沢は新幹線日帰りでよく行った。会社でも有志で行ったり社員旅行のような感じでも行ったりした。越後湯沢には保養所としてのリゾートマンションの一室もあったりした。
当時はまだそれほどスノーボード人口は多くなくメジャーなところはスキーヤーで占められていた。スノーボーダーはソリで遊べるようなエリアを開放されていたくらいだったように記憶している。ゴンドラでは2メールを超える板を自慢げにしてたり、上手い連中のウエアはそれなりに目立っていたりなんかもした。
関東拠点だと白馬は関西人が多いから行かない。とか関西人は嫌われ者扱いだった。関西人の多いところ、集団に関わるのが嫌なだけで個人的にどうのこうの言うわけではなかった。白馬以西は行かず蔵王や安比など北の方に足も伸ばしていた。
熟練者たちはどうして初心者をコブコブの斜面に連れて行くのか。当時はそんなことを思っていながら、尻でコブを滑っって降りたものだ。中には降りれない女性を背負って降りて、それが縁で結婚した同期もいた。ま、そのおかげで?コブはゆっくり普通に滑り降りれるくらいにはなった。慣れてくると春スキーに誘われる。ビール運び要員であった。リュックの中にビールを詰め山頂あたりで諸先輩がたと飲む。
どれもこれも今思えばいい思い出である。


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