ある事をキッカケに持たなくなった。
比較的最近の事だ。学生の頃は学業、交通安全、必勝、恋愛成就など行く先々でお土産代わりに買っていた。
ある時京都の本願寺に立ち寄った。言わずと知れたお西さんお東さんだ。観光目的で気楽な気持ちで記念に御守りでもと思っていたら無い。自称仏教徒ではあるが宗派が違うとはいえ一通りは勉強した“つもり”だ。そう“つもり”だった。御守りは無い。
西本願寺の教えは他力本願。ご本尊の阿弥陀如来は常に見守り救おうとしてくれている。その願いの中で生きているので御守りは必要ないという考えだそうだ。もちろん生活の中で感謝の気持ちは大切である。
東本願寺のインパクトが大きかった。
人は自分にとって良いことを求め都合の悪いことは避けたい。これは人間の性分だ。御守りがあると何かあると良くも悪くも御守りのせいにしてしまう。気休めでしか無いと分かっていてもだ。持たなければ、ありのままを受け入れなければならない。ここがシンクロした。
「現実と向き合っていこう」とする生き方をしようと決めた。


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